地方議会の問題とマスコミ

最近、都議会でのセクハラヤジ問題や兵庫県議の不自然な政務活動費支出問題がマスコミを賑わしている。

どれも、まじめに取り組んでいる議員の方々には迷惑なことでしょうが、何よりも有権者としてはなんともやりきれない思いが強い。
様々な議員の不見識に呆れる事は、選んだ有権者が天に吐いたツバとして自分たちにそのツケがまわってくることになるのだから、怒りのやり場に困る。


しかしながら、余りのレベルの低さに呆れ果てている有権者は多いことだろう。

一方で、マスコミの役割についても考えさせられる。
セクハラヤジ問題も政務活動費問題も、テレビをはじめ
新聞・雑誌などのマスメディアが果たした役割は大きい。

悪を逃がさない、その徹底した取材攻勢や
連日における報道の展開は、
ついに犯人の追求、不正を暴く力となって
あぶり出していったのである。

他方、行き過ぎた取材や問題の本質を見失っているのでは
と思えるようなメディアによる連日の報道のあり方にも
疑問がある。

確かに、罪を犯した人間は、反省をしなければならない。
しかし、その罪は幾らその人個人を指弾したところで、
問題の核心には迫れない。
テレビに映った人物のユニークな個性を面白おかしく取り上げても
それは、セクハラ問題の核心や政務活動費の制度的問題点について
決して解決を促すものではない。
今回の事件において、マスコミの中でも、しっかりと問題の本質を捉え
深く掘り下げられた論評があまりにも少ないのは残念だと思う。

マスメディアには大きな役割があり、そのための絶大なる力があるとしたら
健全な社会の形成の為に、健全なジャーナリズムがしっかりと存在し
常に正しい報道姿勢を失わないでもらいたいと願う。