「安全」を考える



さすがにここ数日は、暑い日々が続いており
夏真っ盛りという感じですね。
手もとの温度計も体温計かと思うような数字を出しています。

さて、盛夏の8月になりました。
この1ヶ月を振り返ると、7月は何かにつけて、
「安全」が1つのキーワードだったと思います。

国家の安全では、集団的自衛権をめぐる安倍内閣の解釈改憲の議論があり
食の安全では、中国の上海福喜食品での期限切れ食品事件による
衝撃的な映像が世界を駆け巡り、
世界各地で飛行機の撃墜事件や墜落事故が続発しました。
日本社会においては、止まらない薬物事件や突然の気象災害の被害の発生、
常軌を逸した猟奇的な殺人事件が多発するなど
あらゆる面で、私たち自身に対し「安全」が脅かされかねない
状況にあることを気づかせてくれたような気がします。

今そこにある危機は何なのか?
国家であれ、企業であれ、個人であれ、
当たり前のように安全を求めつつ、
常に忍び寄る危機と闘っているのが、
実際の状況なのかもしれません。

自分で身を守る「自助」
共に助け合う「共助」
行政政府による「公助」が
危機発生における対処の基本だという。

事件・事故の当事者である場合は
自分自身で対処せざるを得ないが
不運にも、自分がその場に居合わせ、
救助・救援が出来る立場にあった時に
自分はどう考え、行動するかを自問してみたりもした。

犯罪であれ災害であれ、戦争であれ事故であれ
考えもしない様々な危機に直面したときに、
一人の人間として、毅然と危機に立ち向かい
当たり前に、共助の出来る人でありたいと願う。

しかし、そんな単純で屈強なアメリカンヒーローではない
自分にできることは、
危機が起きるその前に、社会の安全を作り上げる日々の努力を
地道に積み重ねていくことだと思う。

安全を破ることは容易く、保つことは難しい。
綺麗な水や空気と安全は、タダで手に入らなくなって久しいけれど
保つ努力を怠っては、取り戻せないものだと、
改めて考えさせられた今年の7月でした。