先日、中国深圳にある企業に呼ばれ、香港に、
「今後の日本の重要政策について」の講演を行ってきました。
海外での講演を依頼され、講義をする度に思うことがあります。
それは、日本人が思う以上に海外では日本に対する関心が高く、
日本への興味が尽きてはいない、という現実がそこにあるのです。
もちろん、ジャパンバッシング(Japan bashing)や
ジャパンパッシング(Japan passing)、ナッシング(nothing)、
ミッシング(missing)などと、散々に言われた時期は
あったのですが、現在の日本だって、まんざら捨てたもの
ではないと思います。
2度の東京オリンピックの開催を決定し、多数のノーベル賞受賞者、
繊細で独特の美意識をもった日本食や和紙の造形文化、
歴史と伝統を内在してる相撲や歌舞伎など連綿と続く日本の先進性は
決して色あせることはないのかもしれないのです。
今回の講演は、フリーディスカッション(自由討議)がメインであり、
争点としては、日本国憲法改正問題、北方領土問題、衆議院解散総選挙、
アメリカ大統領選挙、地球環境問題、災害やテロの多発など、その内容は
多岐にわたったものでした。
その議論に参加した、優秀な中国の若者たちにも敬意を表したいと思います。
日本人自身の可能性は限りなく高いと感じるのに、日本の政治や経済の低迷に
がっかりとすることがあるのは、日本人一人ひとりがその能力を
しっかりと発揮しきれていないことにあるのだと思うのです。
あらためて、自分が海外で思うことですが、
それは、日本のさらなる社会改革への必要性に他ならないと思うのです。
もちろん、自分にも言い聞かせながら…。