玄奘三蔵と大慈恩寺、大雁塔


西安市訪問の際に、三蔵法師で有名な「玄奘」ゆかりのお寺である大慈恩寺と
大雁塔に行きました。



玄奘三蔵は、大慈恩寺の高僧であり、大雁塔は、玄奘三蔵が645年にインドから
持ち帰った657にも及ぶ仏教の経典や仏像などを保存するために、652年に大慈恩寺
内に創建された高さ64m、四角7層の仏塔です。
玄奘三蔵は、664年に没する直前まで、経典の中国語翻訳に務めていたといいます。



 
偉大なる仏典漢訳者として有名な玄奘三蔵(602 - 664年)についてですが、629年の玄奘27歳のとき、国禁を犯して密出国し、陸路でインド(天竺)に向かいます。

草木も生えない灼熱のタクラマカン砂漠や雪と氷に閉ざされた天山山脈を越えて、約3年の月日を経て、ようやくインドに到着。世界史的に有名な、ナーランダー寺院で戒賢論師に師事し、あらためて仏教を深く学びます。


インド各地の巡礼や仏教研究を行って、645年に中国長安(西安)に戻ります。
すでに唐を発ってから17年の歳月がすぎた、玄奘のインド・西域への求法の旅は、
通過した国が128国、その踏破距離、実に3万キロに及んでいたといいます。
玄奘は、無事に長安に戻ったとき、44歳になっていました。
玄奘三蔵は62歳で没しますが、仏典の翻訳業を19年間、死の間際まで翻訳に打ち込
み、翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ741335巻にのぼるそうです。
それでも持ち帰った経典の約3分の1程度しか訳せなかったといいます。
今、日本で最も読誦される「般若心経」の基となったのは、玄奘三蔵によるこの大般若経です。

玄奘三蔵の一生を通して考えるのは、玄奘の強い信念と類い稀なる行動力、
そして、何より一生をかけて取り組むべき使命を、天命として全うした、
凄まじくも幸せな人生だと、大慈恩寺の境内に立ち、大雁塔に登った私の率直な感想でした。