ミャンマーでクーデターによる政権奪取、軍政が復活

2021年2月1日早朝、ミャンマーにおいて国軍がクーデターを実行し、政府の全権を掌握した。
文民政府の象徴であった、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相やウイン・ミン大統領らをはじめ全閣僚、他国会議員、政府関係者を多数拘束した。
国軍系のニュース報道を通じ、国軍メンバーだけによる国防治安評議委員会を開催し、国軍出身のミン・スエ副大統領が大統領代理として、1年間の国家緊急非常事態宣言を発令した。同時に、ミン・アウン・フライン国軍総司令官に立法・行政・司法の全権を委譲したのである。

1988年に民主化デモ鎮圧から軍事クーデター行われ、1989年国名をビルマからミャンマーに改称し、1990年にはアウンサンスーチー率いるNLDが総選挙で圧勝したものの国軍側は政権移譲しなかった。
まさに、時計の針があの時代に逆戻りしたかの錯覚すらしてしまうほどである。

かつて軍政下で民政移管を進めていた、2008年には新憲法が制定され、2010年には総選挙が実施され、その後、スーチー女史の自宅軟禁が解除され、2011年には軍事政権から民政への完全移管が完了されたと言われていた。
そして、「アジア最後のフロンティア」と呼ばれたミャンマーに多くの海外資本投資や援助が積極的に行われ、経済特区の開発や巨大工業団地の建設も進められていた。
今は、これからのミャンマー軍事政府の運営が気になる。
国内の支配体制は、国軍内にも政権運営を行ってきた元閣僚や議員も多数存在し、優秀な官僚組織の運営も長けてはいると思う。
しかしながら、時代は一国主義では成り立たないほど、世界の相互依存が隅々まで進んでいる。

かつてミャンマー政府自身が経験した、国際社会からの厳しい非難声明や経済制裁も予想される。
特に、欧米諸国や国連による経緯制裁の発動は避けられないと考える。
そうしたツケは、いつもミャンマーに住む他民族で構成されている自国民であり、社会的弱者である女性・子供・高齢者にこそ、のしかかってくる。国民を政治的権力闘争の犠牲にしてはならない。